PARENTS JOURNAL

「大きくなればラクになる」は本当なのか?

コラムニスト深爪が考える、子育てが真の意味で「ラク」になる時

ペアレンツバッグ | MATO by MARLMARL

目次


ネーミングが持つチカラ

妊娠してはじめて「マザーズバッグ」なるものの存在を知った。育児情報誌の「マザーズバッグ、買うなら絶対にコレ!」と題した特集が目に入ったのだ。
「母親向けに特化したカバンなんかあるんだ…」と新鮮に驚きつつパラパラとページをめくると、そこにはポケットがたくさんついた多機能カバンの写真が並んでいるだけだった。

妊婦だった当時は、正直、必要性を感じなかった。手持ちのボストンバッグでなんとかなるだろうと思っていた。
結論からいえば、手持ちのボストンバッグではなんとかならなかった。とりあえず重い。赤子連れで片手が塞がるのは不便。 意外とモノが入らない。なにしろ持って歩くものが多いのだ。オムツや哺乳瓶、おしりふき、タオル、スタイ、お気に入りのおもちゃ、絵本、お菓子、離乳食、汚した時用の着替えなど盛りだくさんなのである。

子を連れて隣町の公園に遊びに行こうとしたら、夫に「どこ行くの?熱海?」と聞かれたこともある。 実際、乳幼児とちょっと遠出をしようものなら温泉一泊旅行レベルの荷物になることもしばしばだった。

夫は育児に協力的だったが、マザーズバッグの中身についてはよく知らなかったのだろう。 「マザーズバッグ」は「マザー」の「バッグ」なので担当外と思っていたのかもしれない。これが「ペアレンツバッグ」だったらどうだったろうか。 そんな単純なことじゃあないだろと思われるかもしれないが、最近、ネーミングはやはり重要と気づかされることがあった。

おもちゃ業界における「男の子向け」「女の子向け」の見直しである。
「日本おもちゃ大賞」では「ボーイズ・トイ/ガールズ・トイ部門」が廃止され「キャラクター・トイ部門」が新設されたそうだ。 某大手おもちゃ販売店でも新規店舗では性別によるカテゴリーを撤廃して「乗り物」や「人形」など商品ジャンルごとの区分のみに変更しつつあるという。

私は物心ついたころからいわゆる「女の子向け」にはまったく興味がなかった。

人形遊びやおままごとはせず、恐竜や昆虫、ラジコンに夢中だった。誕生日に昆虫採集キットを貰ったと大喜びで友達に報告したら「女の子なのに変なの…」と珍獣を見るような目をされたのは今でも覚えている。 恐竜や昆虫、ラジコンはながらく「男の子向け」のコンテンツとして認識されていたが、私のように女児の中にも「男の子向け」が好きな子もいたはずだ。 また、「男の子向け」とされたことで「自分は対象外」と思い込んで興味を持たずに終わってしまった女の子もいたかもしれない。

ネーミングから性別を撤廃すると対象が限定されないので選択の幅が広がる。自分も対象なんだと思える。当事者意識も持てる。 「ペアレンツバッグ」も同じだと思う。

ペアレンツバッグ | MATO by MARLMARL

「当事者意識」という言葉は堅苦しいし、なんだか重大な責務を負わされるイメージがあるかもしれない。私はもっとシンプルに 「自分も関わっていいんだ」「関わるべきなのだ」 と考えられることなんじゃないかと思っている。たかがネーミングされどネーミングなのだ。

育児に無関心だった人には当事者意識を与えられるし、「マザー」の聖域と遠慮していたファザーも気楽に育児に関わることができるだろう。 母親側だって「マザーの仕事」というガチガチに凝り固まった固定観念が薄らいで「自分だけで抱え込む必要はないんだ」「助けを求めてもいいんだ」と 子育てへの向き合い方が少しだけラクになるのかもしれない

「おむつ替え」ができなくても大丈夫。男性の育児参加に思うこと

「男性の育児参加」には、沐浴やおむつ替えなど積極的に子どものお世話をするイメージを持つ人も多いと思う。

シャボン玉

第一子を出産したときに夫が育児休暇を取得してくれたのだが、私がとても助かったのはこういった直接的な子どもの世話もさることながら、彼が私の睡眠時間の確保に奔走してくれたことだった。 夜泣きが始まると颯爽と現れて「代わるよ」と息子を受け取ってくれたり、昼間も「ゆっくり寝て」と子を散歩に連れ出してくれたりと、とにかく私がひとりで眠れるよう配慮してくれたのだ。

また、洗濯物や食器の片づけなど、夫は “自分のことは自分でする” を日頃から徹底しているので、私が夫の世話をする必要もなく子育てに専念できた。 加えて、産後の不安定な時期にじっくりと話を聞いてくれたり、私がひとりで映画を観たりお茶をしたりする時間を確保してくれたりと精神面のケアもしてくれた。

今思えば、このような母親へのサポートも「育児」のひとつといえる。
「子どもの世話の仕方がわからない、自分には育児は無理だ。」と諦めているお父さん方もいるかもしれないが、「育児」には意外なアプローチもあるので是非お試しいただきたい。

いつになったら子育てはラクになるのか

子どもを産み育てることは驚きや発見の連続だ。本来楽しい経験であるはずなのに、なぜか「育児」にはしんどいイメージが付きまとっている。おそらくSNSがその一因だろう。

子持ちに対する批判やネガティブな意見、育児の愚痴がとめどなく流れてくるSNSは、少子化の一端を担っているのではないかと思えるほどだ。そんな愚痴まみれのSNSでよく見かけるのが 「いったいいつになったら子育てがラクになるのか?」 という話題である。

ススキ

私は、産後しばらくは昼も夜もない生活をしていた。授乳とオムツ交換の繰り返しで気が付けば一日が終わっている。合間に食事をしたりテレビを見たりしていたはずだが、蘇るのは自分の乳と赤子の尻だけだ。

「しまうのめんどくせえ」と片乳を放り出したまま布団に転がり込んで昼寝をしたのは今でもよく覚えている。 あの頃の私にとって乳房はもはやセクシーの象徴などではなく、単なる母乳製造マシーンだった。 授乳服のボタンも締めずに部屋をうろつくのが日常だったため、あやうく乳首全開で宅配便を受け取りそうになったこともある。 しまっている時間よりも出している時間の方が長かったから乳首を軽んじるようになったのかもしれない。 いや、そもそもあれは「マシーン」の一部なので布で覆う必要なんかないのだ。 あの頃の乳首は膝小僧の裏くらいどうでもいい存在だったのである。

卒乳して子が夜通し眠ってくれるようになると、身体はだいぶラクになった。
が、今度は気が休まらない。幼児は隙あらば死のうとするからである。ちょっと目を離しただけでベランダにワープするわ、電気コードを首に巻きつけるわ、10円玉を飲もうとするわでうっかりトイレにも行けない。 電話に対応したほんの数十秒の間に両鼻にドングリを詰めていたこともあった。とにかく油断がならないのである。

あれは息子が幼稚園に入る前だっただろうか。突然自分の中の何かが壊れてしまい、近所の先輩ママさんに「しんどいんですが!!!???」と泣きながら盛大に悩みをぶちまけたことがある。 すると彼女は 「大きくなればラクになるから大丈夫!!!!」 と満面の笑みで盛大に励ましてくれた。その言葉を信じて今までなんとかやってきた。

上空の飛行機

息子は高校生になった。だいぶ大きくなった。「ラクになったか?」と聞かれれば、イエスでありノーでもある。

「積み木を積み上げては壊す」の無限ループをひたすら見せられることや「ねーねー、お母さんきてきてーー!はやくーーーーー!!」の声に料理の手を止めて急いで駆けつけるとただ白目を剥いて変顔をしているだけ、みたいなことは少なくなった(まだある)。 その代わりに自立を促すために見守るガマンが発生した。あれやりなさいこれやりなさいと親が指示していてはいつまで経っても自主的な行動ができないので、手を貸さない&口を出さないガマンである。これが結構しんどい。

息子が中3の時、内申に関わる重要な課題を持って帰ってきた。机に置かれたそれが何日経っても動かされる様子がないので、「さすがにやろっか」とプリントを片手に息子に声を掛けたことがある。 すると、夫に「過干渉。やらなくて困るのは自分。自己責任。放っておきなよ」と強めに注意されてしまった。
「それな~」と心の中のギャルも納得したので、息子が視界に入るたびに奥歯を噛みしめながら「ジコセキニンジコセキニン」と脳内で念仏を唱える日々が続いた。

結局、提出期限の日を迎えてもプリントは微動だにしなかった。当然、内申には大いに影響した。本人も「あの時ちゃんと提出していれば」と後悔を口にしていたので多少は学んだのだろう。 その後は「これ、明日提出のやつだ」とかなんとか言いながらカバンにノートをしまう姿も見受けられた。私も見守ることの大切さを学べたし、親子ともども成長できたと思っている。

高校生の今、もう彼が何をやっているかわからない。息子は私の知らない世界で勝手に生きている。手を掛けることがなくなったという意味ではラクになったが、なんともいえぬ寂しさに襲われる。
あれほど欲した“ひとりの時間”を手に入れたのに、道に転がるドングリを見つければ「これを喜ぶ子どもはもういないんだな…」と感傷的な気分になるし、公園の砂場で楽しげな母子を目にすれば「息子ともっといっぱい遊んであげればよかった…」と後悔で涙がこぼれそうになる。親とは本当に勝手なイキモノだ。

子育ては己と向き合う作業 なんだなあとしみじみ思う。
今まで目を背けていた自分のダメな部分をいやがうえにも突きつけられるし、意外な強さや逞しさに気づかされることもある。そして、時に覆される常識と非常識。
子育てをしていると、子を通じて自分を作り直しているような気持ちになる。子育ての苦しみは既存の自己を壊して再構築する痛みなのかもしれない。

さまざまな迷いや呪縛から解き放たれて新たな自分が作り上げられた時、親は真の意味で「ラク」になるのではないかと私は思うのだ。

深爪


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