PARENTS JOURNAL
子育て中のおとなの背中を、もっと自由に。
「早くから預けてかわいそうだけど、シングルだし仕方ないよね」
19歳・大学1回生で出産し、保育園に預けて大学に通学していた頃、よくかけられた言葉。
そのあとに「大変だと思うけど、頑張ってね」と続くので、こう声をかけてくださった方も、特に悪気なくそう言われていたのだと思う。
でも、「かわいそう」って、なんだろう?
親だって、ひとりの人間で、
子育て以外にも、大事にしたいことや頑張りたいことだって、ある。
親になった途端に、それは全部あきらめて、子育て「だけ」に集中することが、正解?
みんながイメージする「ママ」像から離れると、こどもが「かわいそう」と言われてしまう。
まだまだ未熟な19歳。わからないことだらけの初めての育児だった。
ただ泣き止まない赤ちゃんを目の前に、どうしたらいいかわからず自分が泣きたくなる日もたくさんあった。
わからないなりに調べたり教えてもらいながら一生懸命やっている中で、保育園という、専門知識を学んだプロの保育士さんがいる環境でこどもが過ごせる選択肢があることは、本当にありがたかった。
初めて保育園に預け始めた頃の「自分ひとりだけで、頑張ってこの子を育てようと思わなくてもいいんだ」と、ほっと肩の荷がおりた感覚は、強烈に覚えている。
お迎えに行くと、にこにこと保育士さんと手を繋いで出てくる息子をみて、
連絡帳を読んで、自分も知らなかったような息子の一面に微笑ましくなって、
また明日も頑張ろう、と不安とプレッシャーが大きかった子育てが、少しずつ楽しくなった。
それなのに、安心できるプロに頼りながら子育てをすることが、どうして「かわいそう」と言われてしまうんだろう?
このときに感じた違和感は、今運営している施設で、親が「自分のための時間をもつことを応援する」というコンセプトの一時保育サービスをやりたいと強く思うようになったことに繋がる。
▲生まれた直後、NICU(新生児集中治療室)に入っていた頃
「あなたを19歳で産んだから、自分のことをあきらめた」は、絶対に言わないようにしよう。
むしろ「あなたをあのとき産んだおかげで、世界が広がったよ」と、息子に言える自分でありたい。
覚悟、というと少し大げさかもしれないけれど、それぐらいの気持ちで、あのとき大学を休学し、出産することを決めた。
だから、何かチャレンジしたいことがあるときに、子どもがいるからできない、とは考えずに、できるだけチャレンジしようと思ってやってきた。
もともと人に頼ることがとても苦手だったが(今でもまだまだ苦手だと思う)、子育てを通じて、人は一人では生きていけないということを身に染みて学んだ。
家族や保育園など、たくさんの人のサポートのおかげで、無事大学を卒業し、就職することができた。
あの頃を振り返ると、育児と学業の両立そのものよりも、「お母さんは、こうあるべき」、「子育て中は、こうするべき」の多さや、いわゆる「親子の場所」に「ふつうのママ」でないと馴染めないことの方が、とてもしんどかった。
行く場所も、服装などの見た目も、持つものも、いわゆる「ママっぽく」ないと、馴染めない息苦しさ。
大学生活もあったので、「小さい子をもつママ」しか使えない「ママらしい」アイテムはできるだけ持ちたくなくて、マザーズバッグは買わなかった。
大きなトートバッグに、教科書やPC、おむつや哺乳瓶を全部入れて持ち歩いていたのを覚えている。
学生で若くして親になる人は、少ないかもしれない。特殊と言われれば、そうかもしれない。
でも、親になった途端に感じる「ママらしく」「パパらしく」「親らしく」の息苦しさは、程度の差はあれ、今、日本で子育てをするみんなに、共通することなように思う。
何歳頃まではできるだけ母親がみるべき、
お母さんは自分のことは後回しにして子育てに集中するべき、
子育て中はこうあるべき。
子どもには、自分らしく人生を楽しんでほしい、と願うのに、
子どもに一番身近で背中を見せるおとなの「子育て」には「らしさ」が認められず、「べき」が多すぎる気がした。
ひとりのおとなとして大事にしたいことを大事にしながら、それぞれがそれぞれらしく、子育てができる世の中になったらいいな。
学生時代に出産し、子育てをしてきて感じたその思いは、その後就職した会社を飛び出し、
こどもだけでなく、子育て中のすべてのおとなが寛げる・楽しめることをコンセプトにした施設「おやこの世界をひろげるサードプレイス PORTO / PORTO THE THIRDPLACE for PARENTS and CHILDREN」をつくる原点になった。
施設の名前に「ママ」という言葉は使わないと決めていた。
子育てに関わる人は「ママ」だけじゃないはずなのに、いわゆる「親子の場所」の、ママと子どもしかおらず、「ふつうのママ」からすこしずれると受け入れられないような、なんだか同質化された空間が苦手だった。
「PORTO」にお子さんと遊びにきてくれる大人の約4割は、パパ。
他にもおじいちゃん・おばあちゃんがお孫さんと、や、ごきょうだいの子どもを連れて遊びにきましたという方、シッターさんがいらっしゃることもある。
SNSやWEBサイトの発信する文章でも、物理的に母親にしかできないことに関わること以外は「ママ」だけでなく必ず「パパ」もセットで入れるようにしている。
「マザーズバッグからペアレンツバッグに」
おむつや着替えなど子どもの荷物を入れたバッグを、ママからパパに、おじいちゃんおばあちゃんに、と手渡すシーンをPORTOで日常的に目にしてきたので、すごくすとんと、自然に入ってきた言葉だった。
PCなど仕事のものも、大きくなった息子のあれこれも、ばさっと全部入れて運べる軽さが嬉しい。何より「ママ」っぽくない、仕事に持ち歩いていても違和感のないデザインが嬉しい。
「ママっぽく」したくなくて、PCも、教科書も、おむつや哺乳瓶も、大きなバッグに入れて持ち歩いていた学生の頃のわたしに、教えてあげたくなった。
あれから、12年。
大変なこともたくさんあったけれど、家族も、保育園も、友人も、まわりの方に支えていただいたおかげで、「あなたをあのとき産んだから、わたしの世界は広がったよ、人生が楽しくなったよ」と、今息子に言えるんだと思う。
わたしにとって「子育て」は、人生や生き方の選択肢を狭めることでなく、価値観や世界を間違いなくひろげてくれた。
子育て中のおとなが「べき」に縛られず、それぞれの「らしさ」を大事に、子育ても含めた人生を大事にできること。そして、その背中を、子どもに見せられること。
それはきっと、これからおとなになっていく子ども自身が「らしさ」を大事にできることに、つながるはず。
大変なこともたくさんある、子育て。
その子育てをするペアレンツにだって、大事にしたいこと、やりたいことも、たくさんある。
子育てを「ママ」だけで、もっというと家族だけで背負いこむ時代は、変わっていくんだと思う。
子どもに見せるおとなの背中が多様になることは、きっと子どもの人生の選択肢を広げることにつながるはず。
子育てに関わる場所も、アイテムも、考え方や名前から変えていくことが、この流れを後押ししてくれるといいなと思う。
佳山奈央
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