PARENTS JOURNAL

予期せぬ早産。「母親」という役割から感じたアンバランスさ

「産休に入ったらあれもしたい、これもしたい。産後は、カンガルーケアもしたいな。」

 

 

第一子である長女を妊娠中の当時、私は幼稚園教諭として年長クラスの担任をしていました。

 

「産休に入ったらやりたいことリスト」を書き、こんな出産がしたいと思い描いては幸せな思いがあふれる日々を過ごしていました。

 

しかし、妊娠29週のある日、突然出血をしてしまいました。

 

その日を境に安静生活を余儀なくされてしまいます。

もちろん仕事を続けることもできず、予定していた産休よりも早くお休みに入ることに。

 

そこからは食事の時以外は極力安静にする生活を自宅で送っていました。

このまま安静にして、正期産となる37週まではお腹の中にいてほしい。

 

そんな願いを日々祈るような気持ちで不安と戦いながら過ごしていました。

 

 

しかし、35週の時に突然破水。

 

急いで病院に行き、さらに大きな病院へと搬送。人生で初めて救急車に乗るだなんて思わず。

 

あれよあれよと事が進み、翌日には先生の最終判断で出産をすることに。

 

35週ということで、まだ赤ちゃんの体重や機能が未熟な部分もあること、それでも今このタイミングで出産することが赤ちゃんのためにも最善であるということなど。

 

病院の先生に丁寧に説明をしていただき、出産に挑みました。

 

いよいよ娘が誕生する瞬間、やっと会えることのできた喜びと同じくらい、

 

 

「この子は大丈夫なのだろうか」

 

という不安で胸がドキドキしていたことを今でも鮮明に覚えています。

 

 

赤ちゃんは生まれたら「オギャー」と泣く。

 

なぜか疑うこともなくそう思っていた。

出産は奇跡の連続だというのに、”当たり前”なんてどこにもないのに。

 

 

でも、娘は泣かない。

声を出さない。

 

処置を受けて近くに来てくれた娘の胸は、必死に呼吸をするために大きく上下に動いていました。

 

 

「産休に入ったらあれもしたい、これもしたい。産後は、カンガルーケアもしたいな。」

 

妊娠中に描いていたこと。

 

でも現実は、指1本も触れることもなく、娘はNICU(新生児集中治療室)へと運ばれていきました。

 

出産時に呼吸が苦しくなってしまったことが関係し、治療が必要となりました。

 

しかし、幸いにも大きな後遺症や長期の治療はなく、出産から20日後に初めて抱っこをし、21日目にNICUを退院することができました。

 

 

長い人生で考えると、“たった”20日。

しかし、当時の私にとっては”ものすごく長い”20日でした。

 

 

身体の一部であった我が子と離れ離れになることがこんなにも辛いのかと。

 

だからこそ、初めて抱っこしたときの気持ちは色褪せることなく、今でも手に取るように思い出すことができます。

 

「この子たちの未来が少しでも明るいものでありますように」

 

娘を抱いた瞬間、心の底からそう願いました。

 

 

*

 

そんな娘の出産の経験が、私に「母親」というアイデンティティを強く形づくってくれました。

今まで自分の中になかった「母親」というアイデンティティ。

 

幼稚園教諭としても感じていたけれど、実際に母親として娘と過ごす中で感じる「母親」という役割の大きさ。

 

母にしてくれて、ありがとう。

 

そんな思いが娘に対してこみ上げてきます。

 

しかし同時に、「母親」という役割への社会からの視線や認識へのアンバランスさを感じることもありました。

長女の健診やお買い物などに家族で行った時。

 

「ママが一番ご存知だと思うので」

「お母さんにこうやってやってもらうといいと思います」

 

目の前に私だけではなく夫、つまり娘にとっての「父親」もいるのに、なぜ主語が「母親」なんだろうか。

そんな疑問をもったことが度々あります。

 

 

もちろん家族によっては、それぞれに役割分担の量は違うでしょう。

しかし、あくまでも子育てをするのは「“母”親」だけでなく、「親」です。

 

 

あらゆるところで「母親」を主語にすることで、「子育て=母親の責任」という視点を強めることになるのでは?という思いを強く感じるようになりました。

 

たかが言葉なんです。

 

でも、されど言葉だと私は思っています。

 

もちろん、生物学的に男女をみた時に、どう頑張っても女性の役割となる妊娠・出産を男性が代われない部分はあります。

 

そのため、そのような部分では「母親」にフォーカスすることもあるでしょう。

 

しかし、生まれてからの長い子育ての日々では、性差は関係なく、母親も父親も同様にできることがたくさんあります。

 

だからこそ、現在「子どもが尊重される社会をつくりたい」というビジョンをもち活動をする中で、SNSでの配信や書籍で「ママ」「母親」だけを主語にせず、「大人」と表現するようにしています。

 

そして、2022年に立ち上げたモンテッソーリ教育を子育てのために学ぶオンラインスクールも「Montessori Parents(モンテッソーリペアレンツ)」という名前にしました。

 

そこには強い思いがあります。

「Montessori Mothers」でも「Montessori Fathers」でもなく、「Parents」なんだという。

 

 

子育てに女性、男性関係なく、同じようにかかわってほしい。

「手伝っている」ではなく、一緒に楽しんでほしい。

 

そして、それが社会のスタンダードになる方向へ自分は貢献していきたいという思いがあるからです。

 

— たかが言葉、されど言葉。

 

好きな言葉があります。

イギリス初の女性首相 マーガレット・サッチャーの言葉です。

 

考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。」

 

 

たかが言葉ですが、その人が何を考え、どんな信念をもっているかでつかう言葉がかわってくると私は日々感じています。

 

そして、その言葉が巡り巡って色々なところへと影響を与えていく。

 

 

だから、「マザーズバッグ」でも「ペアレンツバッグ」でも大きな差はないかもしれない。

 

でも、そのこだわった、信念のある選択をした言葉が積み重なった時、周囲の人の心に少しずつ変化がうまれてくるのではないかと思っています。

 

私自身も、そんな変化に貢献できる大人であるために、子どもと成長していきたいです。

 

— あれから7年。

 

 

家族が増え、7歳と1歳半になる娘たち。

 

私に「母親」というアイデンティティを授けてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

モンテッソーリ教師あきえ

 

 

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