JOURNAL

インドの親の教え

 

日本の親はよく

『人に迷惑をかけないように生きなさい』

と言う。

 

私もよく言ってしまうのだが、言いながら違和感を感じる時もあった。

 

なぜなら自分は迷惑をかけて生きてきたからだ。

 

偉そうなこと言って、一体どの口が言ってるのだ?と思ってしまうからだ。

私は幼少期そんなに完璧だったっけ?

大人が言う事が正解なの?

 

こう思いながらも、なぜ子どもに言ってしまうのだろう?

 

きっと私の親も、私に同じ事(人に迷惑をかけないように生きなさい)を言っていたからだろう。

 

そんなこんなで違和感を抱きながらも

ある日突然パッと携帯の画面を見ると、目に飛び込んできたのはこんな言葉だった。

 

インドの親は

『あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人(他人)のことも許してあげなさい』

 

と教えているんだとか。

これだ!!とビビビッと来たのでした。

 

ルールで制限するのではなく、人を認めてあげて受け止める。

 

ルールで縛ったり必要以上に我慢したりする事は、どんなメリットがあるのだろう。

 

インドの親の教えは今の日本の子ども達だけでなく、日本の親にも必要なのではないでしょうか?

 

そうはいいつつも、やはり日本ではまだまだ人目が気になってしまう。

 

『人に迷惑をかけない』が価値基準になってしまっている現代では、

注意しない親は『育児放棄』にも見られてしまうかもしれない。

 

そして、都会なら尚更子どもを注意しなければならないと思ってしまうかもしれません。

 

人が溢れているから、他人が周りに沢山いるから。他人との距離が近すぎるのかもしれません。

 

人との程よい距離感は安心感があります。

都内での子育ては、他人のパーソナルスペースに知らぬ間に入ってしまう可能性が高い気がします。

 

人には目には見えない自分の感覚として、他者に侵入されると不快に感じる空間が存在し

 

そのパーソナルスペースは、人によって広さが違ったりもするので、子どもが他人に近付いて不快に感じない範囲で遊ばせなければなりません。

 

目に見えないものですから、本当に判断が難しいものです。

日本の公園は誰でも使っていいので、どんな人がいるのか分かりません。

 

アメリカの親戚が連れて行ってくれた公園は、

住民カードのような証明できるものでピッとセキュリティを通過しなければ入れません。

※地域によっては異なるかもしれません

 

同じ地域に住む住民とその関係者しか入れないため安心して子ども達を遊ばせる事ができました。

 

顔見知りでなくとも、同じ地域の人なんだなと分かっているだけで、話しかけやすいし

【お互い様だから】という無言のアイコンタクトがとても心地良かったのを覚えています。

 

 

 

今後はインドの親の教えのように

 

『あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人(他人)のことも許してあげなさい』

 

と子どもに伝えていけたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

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