JOURNAL

自ら学びとる環境へ

Be creative!

Make them(kids)bored!

 

旦那がわたしに言った言葉が今回はやけに納得できたのだ。

旦那は外国籍だから文化の違いや生まれ育った環境や子育てや教育について、親からの教えが全く違うので

子どもが生まれてからというもの、子育てについて意見がぶつかることが多々あった。

 

子どもが何も考えない

失敗から経験して自ら気づくことや

想像を膨らませてみることが

現代の子にはなぜ難しいのか?

どうしたら失敗から学ぶのかと考えていた矢先、

 

旦那がこう言った。

 

"与えられすぎて、溢れているからだ"

物にあふれ

やることにあふれ

情報にあふれ

 

『暇がない』

 

物が足りなかったり、やることがなかったり

情報が少なければ

 

自ら動きクリエイト(想像し創造する)する。

 

『知りたくて自ら調べてみたり、

物がないなら作ってみたり試行錯誤してみたり、それは全て【暇】じゃなければできないよ。』

 

あぁ、そっか。なるほど。

 

(その時、幼稚園のおばあちゃん先生が言っていた言葉がようやくわかった気がした。

『今の子達は大事なことを通り越して先ばかり観ている。飛び越えたことなんてやらなくていいのに。習い事なんてしてる場合じゃない!』)

 

自分の幼少期は両親が共働きでとにかく暇を持て余していた。

暇すぎたw

 

ゲームは目が悪くなるから買ってもらえず、(それ程興味もなかったのでどうしても欲しいとは思わなかった)お腹が空いたから自ら台所へ行き食べてもいいものを探しては簡単に切ったり作れる作れる料理はやってみた。

卵かけご飯は定番だ。

 

庭があったので天気が良ければ縄跳びしたり、畑に来た猫を観察したりもした。

縁側で寝転がりながら雲は一体どこからきて、どこへ行くのか永遠に考えていたし

自分が死んだら自分はどこに行ってしまうのか、家族や友達の事は忘れてしまうのか、

宇宙やブラックホールってどんな感じなのかイメージしてみたり、考えていたら気づけば昼寝に突入していたり、

お祖父ちゃんに頼まれて包丁を研いだりもしていた。

 

気づけば自分の上履きと下着は自分で洗っていたし、雨が降ってきたら洗濯物を取り込み、畳んだりもしたな。

おつかいだってできた。

 

当たり前のように身についてきたと思っていたけど、全ての始まりは【暇】だったから、、、

かもしれない。

 

今、MATO JOURNAL を書きながら部屋を見渡すと物で溢れている。

TVもゲームもあり、おもちゃも大量だ。

 

習い事だってしている。

 

そう、子ども達は忙しそうに遊んでいて

自ら考えてクリエイトする時間が圧倒的に足りていない。

 

これはまずいぞ、、、

 

物で満たされる事で心や想像力は満たされるわけではない。

 

色々な経験を与える事で、大人が満足していただけだったらどうしよう。

急に恐くなってきました。

 

教えなくても勝手に身についていたのは

やはり環境がそこに在ったから。

 

今からどんな環境で子ども達を応援するか。

 

習い事を見直してみようか。

友達と遊ぶ時間や親と過ごす時間を見直そうか。

物を整理しようか。

 

春休みは環境を整えたい気持ちになりました。

 

そして"何もしない"を楽しもうと思います。

 

 

 

 

 

 

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