JOURNAL

『正しさ』と『楽しさ』の間で

 

わたしが子どもに怒るときは

『正しさ』を伝えたい時が多いのだと思う

 

でも我にかえると、わたしの中での『正しさ』は誰かにとっては『正義』ではないのかもしれない

 

親が望む結果になるように声かけをしているから、、、

『正しさ』を伝えたい時はこっちの方がいいよね〜?こっちのほうが楽しいよね〜?と自然と無意識に誘導しているのだ。

 

子どもが「でもあっちがいいな」と言っても、魔法の言葉「でもさぁ〜」をつけて子どもの意見をやんわりと覆そうとしている自分に気がつく

 

わたしのエゴなのだ

育児とは、常にエゴとの闘いの中で自分の本質と向き合って選択しなければならない

 

自分のエゴが勝ってしまったときの

時差ボケで生じる『またやってしまった、、』という喪失感。

 

結構しんどいものがあります(笑)

 

しんどいなら言わなきゃいいのにと思うのですが、その時は正しいと思っているから相手にもこっちの方がいいよね、なんてうっかり口にしてしまうのです。

 

子ども達は『正しさ』より『楽しさ』で選びがちな傾向があります。

(↑  シールを頭に貼ったら剥がす時に痛いからやめなよと言うのをぐっと堪えたシーンw)

 

大人が『正しさ』ばかりで日常会話をしていると、きっと『楽しい』を知らないガチガチな子に育ってしまうかもしれないな。

 

我が子には楽しさを知っている大人になっとほしいと願っているはずなのに、、、

 

「どっちが正しいと思う?」

「こっちとこっちどっちでしょう?」

「正解!」

 

こんな普通の会話の中に、大人の正しさに導くエゴがたくさん含まれている。

 

もちろん『正しい』ことも時と場合に応じて必要なのですが、楽しさの中から正しさを選択できる子になってほしいなと思うのです。

 

自ら考えて、自ら動いて、自ら選択できる子に育ってほしいのです。

まずは『楽しさ』から選択して、経験すればいいかな。まずはやってみる!

そうすれば必然的に正しさや気持ちのいい選択が見えてくるかもしれない。

 

やってみて"危険だな、みんな笑ってないな、なんか違うな、楽しくないかも"が気付けたらそれが『正しい』のかもしれないね!!

 

大人(わたし)はつい先回りして答えを提示してしまうから、子どもの思考力をどんどん弱くしている気がする。

 

【見えない力(能力)】=思考力

 

を伸ばすために大人(わたし)がゴールを設定しないようにしたい。

わたしがまた『正しい』で意見してしまったら、『でも、きみはこっちが楽しいと思うんだね、そうなんだね』って受け止めてあげられるように

 

親の思考力も磨いていきたいものです。

『正しさ』と『楽しさ』の間で。

 

 

 

 

 

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