PARENTS JOURNAL

無関心の壁

千葉県の銚子町をご存知ですか?

 

海や鯖が有名で、地球が丸く見える丘があったり、

銚子電鉄が走っていたり、キッコーマンやヤマサ醤油の工場もあり醤油も有名です。

 

海の方ではよくテレビやミュージックビデオなどの撮影をしているようです。

 

風力発電も近くで観れるし

SDGsな取り組みに力をいれている学校もあります。

 

わたしと姉は銚子町が好きでよくふらっと海やショッピングに行くのですが、

子どもがいるときは楽しいアクティビティ"ぬれせん作り体験"

をしに行きます。

予約不要だし、一枚100円。

三枚くらいはペロリです。

 

とにかく安いし、自分でせんべいを炙り焼きして、焼き色がついたら醤油に入れて

出来立てをいただくのです。

これが本当に美味しいのです!

息子たちは小さい頃から通っているので、

お店のおじちゃんは言わなくても気づいてくれて、

「あれ?また千葉に来たの?また大きくなったんじゃない?」と成長を喜んでくれる姿にほっこりします。

 

東京にいると、周りの大人が子どもに気軽に話しかけることが少ないのでしょうか?

 

田舎の方が親だとか他人だとか、血の繋がりだとか世代とか、あまり関係ないように接してくれる気がします。

 

人に興味があるというか、関心があるというか、みんなで見守るというような感じでしょうか?

 

とにかくフレンドリーで気軽に話かけてくれる気がします。(仲良くなっておまけしてくれたりもw)

東京は携帯を見ている人が多いからか?見えない壁を感じます。

電車でもバスでも公園でもレストランでも。

 

きちんと人と人がリアルに目を合わせて会話をしている経験は、昔と今じゃ比べ物にならないでしょう。

 

対面で話をして、商品の良さを説明してくれたり、どんな人が買うのか?誰に渡すものか?

ニーズを聞き出したりしながら、お客様と店員という垣根を越えた信頼関係がそこにはある。

 

だから、気づけば

"私はその人から買いたい!

この人にお金を払いたい!"

と気持ちが動いているのかもしれない。

ネットで買えたり

置き配だったり

セルフサービス(セルフレジ)だったり

便利を追求したあとにもたらすもの、

一体何が残るのでしょうか?

何か置いてけぼりになってないかな?

 

 

そこにストーリーがないのに

買ったものを大事にできるのでしょうか?

 

そんなことを考えながら、なぜ子どもがものを大切にしないのか?と考えてみる

 

あぁ、わたしは子どもが学校に行っている間に子どものものを買っているな。反省

 

ただ与えられたものにストーリー(背景)なんてないな。

"お母さんと〇〇へ行って、

〇〇を買ってもらったな。

自分でこれがいいって選んだけど、思っていたより高かったな。

よし、大事にしよう!" =ものの価値

 

というストーリーがそこにはないな。

何を買うかではなく(what)、どう買うか?(how)なのかもしれない。

 

主体性を持てるように、小さなことでもいいから、心が動く経験をたくさん味わってほしいな。

 

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