PARENTS JOURNAL

一歩前へ

『家族の枠を超える子育て』とは一体何だろう?

 

 

今シーズンのMATOは「垣根のない子育て」をメッセージとして発信していますね。

とても深い、素敵なメッセージだと思いました。

 

そこに垣根があったことに気付かされる自分がいたり、

なぜ自分は垣根を越えようとしないのかを考えたり、

 

垣根を越えた先にどんな未来が待っているのだろうと想像が膨らみます。

MATOがこのメッセージを発信する背景には

【社会全体が"ペアレンツ"となって、みんなで子育てできる未来になってほしい】という願いがあるそうです。

 

 

おじいちゃんおばあちゃん、こども達、地域の仲間、ママ友、パパ友、園の先生たち・・・

どんな形でも垣根は見え隠れしていて、境目が曖昧です。

垣根を乗り越えるということは、お互いの関係性をどこまで深めるかということなのかもしれない。

 

私は幼稚園で毎日顔を合わせる保護者との垣根がどんどんなくなっていった経験があります。

 

一人目の子育ては初めてだらけで、

これで合っているのか不安で、

誰かに迷惑をかけないか心配で、

子どもが泣いて帰ってきたら嫌だなと私が泣きそうになったり、子どもを守らなきゃとか立派に育てなきゃという無意識の責任感を背負っていました。

それがどんどん重たくなり、

鉄の壁を作るようになっていました。

気が付けば子育てから"孤育て"になっていました。

 

周りのママ達は楽しそうに子ども達の話をしている。

 

その時、周りにいたママ達が我が子の話をしてきた。

「この前、〇〇君〇〇だったよ。お母さんは家でどんな声かけをしているの?」

 

私はただ責められている、親が悪いって言いたいの?と勝手に感じてしまっていました。

自分の子どもの事は話したくないな、、。

 

私は周りから逃げるようになり、避けるようになり、子どもを守ろうと必死でした。

 

そんなある日、他学年の保護者に声をかけられました。

『〇〇君、すごく変わったよね。前は〇〇だったよね、伸びしろがいっぱいあるから面白いね』と。

 

 

私は気付かなかっただけでした。

我が子の成長を一緒に見守ってくれてるんだな。

家では見せない子どもの姿を、みんなが教えてくれていて、みんなでみんなを育てているんだな。

 

ありがたいな♡

 

と思えるようになったのです。時には耳が痛いと思うようなこともあったりしますが、耳が痛い = 図星だから仕方ないのです。

 

痛いところを突かれるってことは、

親の姿であり、子どもの姿だったからです。

 

『親が変われば子は変わる』

 

本当にその通りだなと思います。

(このエピソードはまた違う機会にしますね)

 

"子どものことは、私が1番よくわかっている"

と思っていた頃の子どもの姿は

まさに私の姿でした。

 

周囲に鉄の壁を作り

守ろうと必死で

辛そうで

周りを見ようともしなかった。

 

垣根を越えるためには先ず、自分が垣根を越える努力や工夫をしてみること。

(私は保護者会活動に無理のない範囲で参加するようにしました)

 

周りが見えてくると

友達の子どもも可愛く見えてきました。

互いの成長を喜び合ったり、時には我が子のように叱ったり、悩んだり、

そうやって助けたり助けられたりします。

 

時にはお節介だなと思うこともありますが、時間と共にお節介は有難いと思えてきました。

1人では気づけなかったことや、沢山の育児のヒントを学ばせていただいています。

 

 

他人の意見、視点が自らの引き出しになって人生を豊かにしてくれる気がします。

 

さぁ、みんなで今より一歩だけ前へ!

 

 

 

 

 

 

 

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