PARENTS JOURNAL

無駄は人生の肥やし

環境について学ぶようになってから、毎日の選択をなるべく立ち止まって考えようと努力するようになった。(ありがとう地球)

買い物では、目玉商品がなぜこんなに大量に安く仕入れられたのか?

なぜ10年以上前から、卵の値段はそんなに変わらないのか?

なぜ肉(命)がこんなに安売りされているのか?

この洗剤は、排水路に流れて大丈夫か?

このチョコレートやコーヒーは誰がどのように作っているのか?

安くて大量に消費する世の中とはサヨナラしたいのに、、、目に入ってくるエゴの物体が私を惑わせる

 

立ち止まって、オーガニックの商品を見て見たり、おつとめ品を探したり、

だから、スーパーでの買い物にはめちゃくちゃ時間がかかる。

 

最近は何を作ろうか?と考える前に、まず、オーガニックのおつとめ品はないかを探す。

それから献立を考える。(土壌汚染と農家さんの農薬被害、食品ロスを考慮してのことだ)

 

食べたいなと思ったものに必要な調味料が自宅になければ、それも買い足さなくてはならないから、今、無駄なくお家でできる献立を考えたりする。

特に異国のメニューを食べたい時は、調味料や食材を買い揃えるより、食べに行った方が無駄がない。自宅で一体何回、その調味料の出番があるのか?と考えたら明らかに無駄だからだ。

 

大人になってから無駄なことはできるだけしないようになった。

でも子どもは違うんだなと気が付いた。

"無駄"こそが幼少期の醍醐味というか、無駄を経験しなければ、成長しないのだ。

もちろん"物"以外の話だが。

 

大人になった私は、効率的にいかに無駄なく生活するかばかりを考え、どこか焦っているかのようだ

 

これをしたら、こうなるから、こうしたらいいよ!なんて子どもにはあまり言いたくない。

アドバイスをしたのにも関わらず、それを無視してやられたら大人が苛立つだけだし、

言葉で言っても点と点がつながらないから、身をもって体験する方が遠回りのようで近道かもしれない。

 

プロセスがまだわからないからこそ、子どもはやりたくなるし、子どもには無駄な経験が大事なんだなと感じている。

ボーっとしているように見えても、実は色々考えていたり、一旦、色々と自分なりにリセットしている時間なのかもしれない。

 

友達と言い合いやケンカになっていたら、親は止めたりとか、謝らせたくなったりする。

 

そこを親はグッと堪えて、ケンカさせてみる。

そうしたら自分の中の本音がいつかでる。

 

なんで嫌だったんだろう?を自分で探す

 

自分の気持ちに気づけた時に思いっきり褒めればいい。

仲直りしないで、すれ違いのまま終わっても、なんかいいな〜って最近思う。

 

親はなんとなく後味が悪いから、

親がスッキリしたいから、つい『謝まる?』

『こういう時なんて言うんだっけ?』とか声をかけてしまいがち。

 

明日にはまたすぐ、何もなかったかのように遊んでるかもしれない、

なかなか歩み寄れず1ヶ月後になるかもしれない、1年後かもしれない。

離れて違う仲間を見つけて視野が広がっていくのかもしれない。それでもいい。

 

親が謝らせても、上っ面だけの感情のない"ごめんなさい"は何の意味もないんだな。謝りたくないのならそれはそれでいい。

 

逆に、『大人はボクの気持ちなんか分かってない!!』と信頼関係にヒビが入るかも。

 

子供の力を信じて見守る。

助けてって言われたら助ける。

 

親がカーッとなる時は、ほとんどが親の思い通りにならなかった時だ。

親のエゴコントロールがいかに大事か。

お母さんが服を汚されるのが嫌だったら、その服は子どもがいない時に着るとか、

習い事を集中してやらなかったときは、寝不足だったかな?保育中に何かあったのかな?と

視点を切り替える

"エゴコントロール"

 

私もまだまだだ、工夫をしながら試行錯誤している。自分の中のこうして欲しいというエゴに負けてしまう日が多々ある。

 

とにかく物理的な物以外は、子どもにたくさん無駄を経験させたいなと思っている。

 

たくさんボーっとして欲しいし、たくさんケンカもして欲しい。

それがいつか、人生の肥やしになるから!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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