MATO PARENTS JOURNAL
- KAWAII
- 43
- OMG
- 27
- YEAHHH
- 36
BLUE
息子の「どっちでもいい」の真意とは
柿沼 絢乃
私は新潟のとある海沿いの街で生まれました。
漫画の主人公が「こんな田舎、大っ嫌い!こんなつまらないところ、早く飛び出したい!」などと叫ぶ、
みたいな描写ってあると思うんですが
昔の私はまさにそれでした。笑
とにかく東京に出たい。
この一心で受験大学を選び、東京以外の大学進学は眼中にありませんでした。
もちろん学びたいことが学べる大学を選びましたが、
それ以上に「東京に行ける」というところが私にとって一番大きなポイントだったように思います。
大学進学と共に上京し、そのまま東京で就職。
思えば地元で過ごした時間と、東京に出てきてからの時間が、
とうとう同じくらいになりました。
そんな私ですが、このお盆休み、コロナ禍で何年も帰れていなかった「夏の新潟」に、数年ぶりに帰りました。
今年は息子たちを連れて海水浴へ行きました。
長男が小さかった頃に、ちょっとざぶんと浸かるくらい(温泉みたいですが、笑)の感じで行った事はあったのですが
しっかりと遊びに行くというのは初めてのことだったかもしれません。
最初は足に砂が付くだけで嫌がり、
水に濡れるのを嫌がり、
波にたじろぎ、
足がつかないと怖がっていた息子たちでしたが
少し経つと、海ならではの楽しさに気付き、目一杯遊んで帰ってきました。
満潮のタイミングで砂浜に薄く水が張りました。小さな小さなウユニ塩湖みたい、と思って撮った一枚。笑
真っ青な空が続く向こう側に広がる水平線。そこから続く水面のグラデーション。そして自分に向かって寄せては返す波。
あの頃当たり前すぎて、ありがたさがわからなかった夏の海の姿がありました。
そしてそれを息子達にも経験させてあげられているという幸せもありました。
息子たちを通して、私は初めて自分の地元を受け入れ、有難いと感じ、
変わらずにあるその場所に感謝を持てたように思います。
子育てを通して感じることは本当に多いですが、
地元への想いも、息子達の存在を通じて得ることができたもののひとつです。
息子達がいなかったら、私にとって地元はいつまでも
「何もなくてつまらない、後にしてきた場所」
という認識のままだったことでしょう。
「この景色を息子に見せたい」「この経験をさせてあげたい」
と思っている自分を目の当たりにして初めて、遅ればせながら地元の素晴らしさに気づけました。
帰り道、海とはまた違った景色が車窓に映ります。
青空から山、そして青々とした稲穂がどこまでも続く。
これぞ新潟という景色。
地元を離れてからの時間も長くなったからでしょうか、
息子たちと帰る事ができたという気持ちも相まって、
かつては「つまらない」なんて思っていたそんな景色も
素直に美しいなと思う事ができました。
あの日大っ嫌い、と飛び出した地元ですが、
何年経っても変わらず私を迎え入れてくれます。
そんな地元や実家に感謝すると共に
そのような気持ちをもたらしてくれた息子達の存在にも感謝です。
次男と遊んでくれるひいおばあちゃん。3歳と90歳、その差87・・・実家でしか見られない有難い光景です
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃
柿沼 絢乃