PARENTS JOURNAL

家族のかたち。

最近は色々なものの境界線や隔たりが以前に比べてなくなってきているなぁと感じています。

仕事の仕方も性別も音楽ジャンルもそう。もちろん区別するための線はあるけれど、割と簡単に飛び越えていくことも可能だったりしますよね。



日本にも夫婦別姓が近い将来がやってきそうな時代になっていますし。

ちなみにディズニーのテーマパークではあの印象的な「Ladies and Gentlemen, Boy and Girls」というフレーズのアナウンスを「Hello Everyone」という性別や性的嗜好を特定しないフラットな表現に変更したのだとか。



それはきっと子育てもそうじゃないかと。

 



僕個人としては「子育てしてます!」という意識はでなく。

共に暮らす家族というチームの中で、まだ足りない部分や必要なところを補っているという感覚に近いでしょうか。

親と子という形で分けることよりも、このメンバーならこういう形がいいよねと。



我が家で言うと、普段から夫婦間であまり役割分担を明確にしていません。

洗濯や寝る前の絵本の読み聞かせは妻、子供をお風呂に入れたり近所の散歩、車の運転は僕。

となんとなく生活している中で習慣化していることはありますが、掃除や食事もできる方がやっているところはあります。



それぞれ仕事ややりたいことがある中で、お互いを尊重し合うこと。

”家族”でいるということはそういうことなんじゃないかと。これから子供が大きくなっていく中で、どんな風に僕らが関与していけるのか、親としての最低限の義務やセーフティーネットとしての役割はあるものの



父親だから、、、母親だから、、、という凝り固まった枠をいい意味で取っ払っていきたいなぁということは前々から考えていることです。



お互いの両親が近くに住んでいないということもあり、保育園以外の時間帯は基本的に自分たちで子供を見ています。



ただそれだけだと正直力不足だなということもあり、そんな時は強力なスーパーヒーロー並みの助っ人がお隣から登場。今年から中学生に進学する女の子と5歳の男の子が住んでいるんですが、

2歳の息子にとっては彼らと過ごす時間が何よりも楽しそうなんです。





うちのリビングでブロック遊びをしたり、家の前でキックボードを試しにやってみたり。

ひとりではなかなか気が進まないことも、一緒にやってくれる年齢と感覚の近い友人がいるだけで全く異なる表情を見せてくれます。

ちょっとだけ先輩!というところも、どこか憧れを抱いたり、どこか安心して過ごせるところがあるのかもしれません。





食事に関しても、我が子は食べることにまだあまり執着ない様子で度々食事は四苦八苦しているのですが、

先日5歳のお兄ちゃんがお昼ご飯を共にしてくれ、なんと盛り盛りと真似して食べていたそうなんです。

(保育園では行儀良く給食を平らげている、たまにオカワリもしているそうなので、2歳児ながら社会に適応しているのか~とちょっと感心も)



子供の成長にとって、やっぱり親だけ、家族だけだと埋められない部分はあるんだなということを最近特に感じています。



正直、逗子に越してくるまではそこまで家族以外の存在を重要視していませんでしたが、

近所の中での付き合いやコミュニティの中で育まれるもの、子供だけでなく僕らにとっても欠かせない関係が生まれてきている気がします。



そういう意味でも(最初に戻りますが!)、家族というかたちも境界線をどんどん超えていけるといいなと。



困ったら助け合えたらいい。現代社会の中で失ってきてしまったであろう助け合いながらの営みは、日々の生活だけでなく、きっと自然のことや地球環境のことにも繋がってくるはず。



人が交わる中でも感性は鈍らせてはいけないと思っています。

昔ながらのいいところを引き継ぎつつ、今の時代やそれぞれの暮らしに沿ったかたちを少しずつつくっていきたいですね。





ちなみに我が家は6月に、3人から4人へと家族が増えます!赤ちゃんのいる生活がどんなものだったか、

やっぱり忘れてしまうものですが、またこれも新しいかたちが生まれるきっかけになりそうです。



楽しみ楽しみ。




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