MATO PARENTS JOURNAL
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PINK
トロル役をがんばる娘から「可能性は無限大」を思い出す
Satomi Nakazawa
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いつからか、スマホを買い換えるときにはデータをあまり引き継がず、
まっさらなスマホにまた必要なアプリを入れ、
電話帳も、連絡をする機会があった方をお一人ずつ加えていく、
という毎度フレッシュな気持ちで更新していくのが好きなのですが、
#9910という短縮ダイヤルは、ここ数年電話帳のなかにずっと入り続けている。
車を運転するようになってから知った番号で、
「道路異常」という名前で登録していますが、正式な名称は「道路緊急ダイヤル」。
改めて調べてみると「道路の穴ぼこ、路肩の崩壊などの道路損傷、落下物や路面の汚れなど道路の異状を24時間受け付けています。」
という全国共通でつながる緊急ダイヤルとのこと。
つい先日、この番号にダイヤルすることがあった。
年に数回、ダイヤルすることになるのは大抵車中から。
こちら、すっかり毎朝霜がおります。朝方は0度以下に下がっているのでしょう。
その日、同居している夫の両親に九州からお客さまが来られるとのことで、
また夫もその日はスタッフと朝から外出をしている日で、わたしもお昼前から気ままに出かけることにした。
進めたい仕事があって、PCをひらけるようなお店へ。
ここで、同居と田舎移住あるあるかもな〜と思ったことがいくつかあったので紹介してみます^^
多世代同居の日常あるある/
1. 自宅へ来られるお客さんが多め。両親のお客さん、私たちへのお客さん、祖父母世代のお客さんも来られるし、うちが本家なのでお参りのために来られる親戚も。
2. わたしが外出をするとき、家族のだれかが「行こうか」と娘の保育園へのお迎えをかってでてくれる。(用足しがひとつ多くできたりしてありがたい!)
田舎移住の日常あるある/
1. ノートPCを持ち出して仕事をしたいと思ったとき、Wi-Fiと電源コンセントを使わせてもらえるお店が少なめ。 (ただし、全体的に地方はお店自体が少なめなので、「なんとなくあそこのお店はありそう」という目星はつく。NEWオープンのお店の情報も目立ちやすい)
2. 自宅から目的のお店、お店から次のお店への距離が遠い。
(この時の外出の場合は、自宅から隣町にある目的のお店までで40Km、そのお店から次の用事があるお店まで24Km。逆に、住んでいる町内での用事であれば町のつくりがコンパクトなので、玄関出てから信号2つ、5分で目的地についたりします。保育園への送迎はそんな感じです)
そんなこんなの流れを経て、隣町のダイナーへ。
平飼い養鶏農家さんが昨年オープンされたそのお店は一角が直売所になっていて、卵や加工品などを手に取れるようになっている。
ここ最近、マヨネーズや塩・胡椒やお酢など、調味料に興味津々の娘に(なんでも自分でかけたい、つけたい、なめてみたい…!)、
地元の農家さんがつくられているこのマヨネーズを買ってみようと思っていたので、料理を待つ間に直売所のスペースへ。
購入したマヨネーズは、PELICAN BACK PACKを背もたれにかけたまま、脇のファスナーからすっと中へ。
お財布も、同じく椅子にかけたまま、背面ポケットに差し込んで仕舞う。
帰宅してカメラを見たら背面ポケットの写真が撮れておらず、イメージはMATOの公式より。わたしが持っているバックパックよりさらにリニューアルしているよう!
ちょっとしたお買い物の場面にも優しいペリカンさん、ありがとう。
*
快適に仕事が進んで、最後に夫からことづかった用事を足しに次の街へ向かう。
その道中、小さな橋があった。
あの時てっきり、工場の地帯を走っていたかと思っていたけれど、
いまMAPの航空写真を見てみるとその近くには遺跡もあり、
細い川や沼を抱えた森林が、街と街に挟まれて細長く残っている地帯だった。
たぶんあの小さな橋は、
人間にとっては細い川を渡るためのなんてことのない10mもなさそうな橋で、
動物にとっては、「橋であり道路」に分断された森と森をつなぐ通路になっているのかもしれない。
わたしにその橋が見えてきたとき、橋の入り口の片隅に、見えた。
小さな鹿が倒れているのが。
そしてもうきっと、生きていないのだろう、と思った。
事故に遭ってしまったのか。
ダイヤル#9910は、こういう場面でプッシュすることになる。
それはわたしにとって、後続のドライバーのためであって、動物のためでもある。
後続のドライバーが踏んだりよけようとして不安定な運転になることを避け、
横たわる動物を食事としてついばみに集まる動物の二次被害を防ぐため。
そして、すでに命のないであろう動物がこれ以上踏み荒らされないよう。…
動物たちは、人間が考える尊厳みたいなものを求めることはないだろうけれど、
わたし自身が、たまたま通ったその時間その場所で、命あった彼らに遭遇したということを無視しないでいたい。
それを行動として起こせるのが、わたしにとってはダイヤル#9910への電話だった。
あの日見えた、橋の入り口にいた鹿は、この時期にしてはとても小さかったように見えた。
季節外れに生まれた子なのか、それとも。
以前、同じ町に住む女性ハンターさんがSNSにアップしていたことで、「早くにお母さん鹿を亡くしてしまった子鹿は成長が出来ないで小さい」という記事を読んだことがあった。鹿だって、まだ授乳期の子の成長に、お母さんが必要なのは当たり前なんだよね。
もしあの橋の入り口の子鹿がそのケースで、お母さんを失った子だったとしたら。
お母さんは自然死か、猟の標的になってしまったのか、同じく交通事故なのか…
あの一瞬見えた小さな体を見て、いろいろ考えてしまう。
わたしの拙い知識では、あの鹿がこの時期にして小さかったのか、小さかったとしてどういう理由だったのか、正しい答えはわからない。
でも、小さな橋の入り口で横たわることになった鹿のことを思うととても悲しかった。
*
#9910へダイヤルして、担当者さんの質問へ答え、おおまかな位置を伝えて、引き続き目的地へ向かい、
少し雨の降るなか、家族が迎えに行ってくれた娘の待つ家へと帰る。
もうすっかり日は暮れている。
公道から曲がり、家へと続く砂利道に入ったところで、雌と雄の大きな鹿が道の脇に立っていた。
プ!とクラクションを鳴らし、車の前に飛び出してこないよう牽制をする。
鹿たちは、人間では到底そんな速さでは登れないようなスピードで急斜面を駆け上り、軽やかに暗い森へ入っていった。
うまく姿を捉えられなかったけれど、中央あたりに雄鹿が。
田舎に移住して感じるのは、命について考えることが増えたということだった。
それはわたしの夫の家業が農業だからでもあるから、
四季を通じ刻々と移ろっていく野菜たちの命のサイクルのこと、
畑で出会うたくさんの種類の虫やカエルなどが現れてはいつの間にか見なくなるという盛衰、
放牧しながら飼っている牛たちの誕生と最期のこと、
里山で暮らす野生の動物たちの姿。
畑の上で、芽を出したとうもろこし。
夫がスクショして送ってくれた、ある日の「夜中にみた牛小屋」の写真。Wi-Fiカメラに映ったたぬきの夫婦。
真冬、牛舎に牧草を食べにやってきたと思われる鹿(右端)。昨年の冬、北海道は豪雪で山の動物たちが飢えたという話を聞きました。
なにかを行動しようと強く思えるときは、その対象の存在や事象を自分ごととして思えるかどうかは大きな理由なのだろうと思う。
たまたま通りかかった道で、車で通過していれば一瞬で見過ごせてもしまう「命あったもの」とのすれ違い様を、無視したくない。
#9910へダイヤルするというのは、わたしにとって動物の尊厳へ通づる行動のひとつなのだと思う。
畑へ来て、友人家族やパパママを置いて自由に走ったり歩いたりしている娘。
今日、都市部に住む友人家族が畑へ遊びに来てくれ、
長芋掘りをしている間、上のお姉ちゃんと娘がしゃがんで、畑の土の上を歩く小さな綺麗な緑の蜘蛛を見ていた時があった。
こんなに寒いなか、大丈夫なのかな、冬を越すのかな。
邪魔しないようにそっと、「そこに生きるもの」を見守るふたりの優しい目線が、これからもこのままでいてほしいなと願ったのでした。
5年前の真冬「おうちにいれてー!」と縁側で必死に鳴くようになり自宅に迎えた保護猫ちゃんが、この日畑や野で遊び疲れてぐっすりの娘の足の間にくっついていつの間にか寝ていました^^愛しい気持ちをいつもありがとう。
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