MATO PARENTS JOURNAL
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PINK
トロル役をがんばる娘から「可能性は無限大」を思い出す
Satomi Nakazawa
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『風の吹いてくる方に顔を向ける
山鳩の鳴き声、つつぴー、ぴちち、 ゾウムシ、小さな芽
まだ少し寒い 鼻先が冷たくなる 気温は7度
ここにはもう「冬」がない、だから春と言えるのだろう
沢の水が流れる音
なんというか わたしは自分のおかれた環境のいいとこどりをするのが苦手で。
この環境のいいところはセンス オブ ワンダー
いつだって自分をすり減らすために体動かしてしまっているのは、自分』
3月の終わり頃から4月上旬にかけて、メモに書いた言葉。
日記とも違う、歩きながらであったり、散歩途中の山あいの畑の上で立ち止まってであったり。
「いま書こう」と思って書き残した言葉たち。
最近のわたしの日々を書き表すとしたら、このメモの通りかもしれない。
昨年3月よりMATO JOURNALのライターの一人として参加させて頂くようになりあっという間に丸一年が経ちました。▶︎ 一年前の記事
一年間を終え、引き続きライターを続けるお声をかけて頂き
こうして2巡目の春にまた記事を書くことができています。
(編集部の皆さん、お声かけてくださってありがとうございます!)
MATO JOURNALのライターであるということ、
そして自分の日々を「だれかに伝えるとしたら」と想像して
言葉になんとなくでもまとめてみる作業はわたしのなかでとても大事な事で。
だれかに伝えると想像する事でもたらしてもらえるもののひとつは自分や家族の状況を、客観的に・相対的に見る目線。
それは、鳥瞰(ちょうかん)、鳥たちが空から見おろすように少し離れた目線で見渡すことというものなのかも。
3月下旬、シベリアの方へ向かう渡りの白鳥たちの飛ぶ姿や田んぼで休んでいる姿、ラッパのような賑やかな鳴き声が家族の楽しみでした^^
そんな鳥のような目線で、都市圏に暮らす友人家族やいとこ家族などの子育てと北海道の2千人の集落で暮らすわたしたちの子育てを見たとき、
まず習い事の選択肢は多くないと言えると思います。
小学校受験という選択も、在住のエリア的にどの学校へも通学が現実的でないため選択肢には入ってこないかな。
赤ちゃんだった娘も来月で3歳になろうとしており、
だんだんそういった「習い事は」「小学校は」という話題への「うちの場合は」が現実味を帯びてきました。
そしてもっと言えば、わたしたちの暮らす集落は、現時点では北海道立の高校がありますが、もう数年で生徒の募集停止が計画されています。
だから娘は、高校はおそらくいま暮らす町から出る必要があって都市圏の高校へ進学するかもしれない。
わたしたち夫婦が娘と暮らせるのも中学校卒業までなのかも。そうなると残り13年ほど…?
そんな小さな覚悟のような話が夫婦のなかにあがり、寂しさを感じたりしています。
とは言え今になって振り返れば、わたし自身も18歳には親元を離れ、
そして特に父は単身赴任も多かったためおそらく一緒に暮らした期間は
トータルで15年くらいなので期間としては同じようなものではある。
親元を離れてからの方がいつの間にかに長くなっているけれど、それでも親は親だし、親が見せてくれた風景や連れていってくれた先での体験や感じたことは深く心に残り、人生の選択に大きく影響してきたと言えます。
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関東に暮らしていた頃
6、7歳くらいで参加させてもらったキャンプで
たしか夜に、母と弟と一緒にかな、トイレに行こうとして懐中電灯を持って外を歩き
その灯りを夜の空に向けた思い出。
そのとき考えていたことは
「星の光は何百年も昔の光が見えているなら
この懐中電灯の光も何百年後かにどこかに届くのかな」ということだった。
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同じくおそらく6、7歳頃。
わたしの誕生日と弟の誕生日がちょうどお盆を挟んでいて、猛烈に働く父も毎年その時期だけ連休をとって旅行に連れてくれていっていた。
車内でのわたしの座る定位置は運転席の後ろ。
夜の帰り道、首都高だったのかどこかの高速道路で渋滞にはまりながら見た
反対車線の同じく渋滞した車のライトの列。
そのライトの列を見ながら、「今すれ違っているこの人たちはすぐそこにいるのに、もう一生出会うことがないのかも」と思って切なくなったこと。
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2つめの思い出は特に強くて、わたしが親元を離れたあと
20歳で職業を考えていたときの根っこになっていた。
なにが、その子の根っこになるような体験になるかは、親にはわからないかもしれない。
夜空なのかもしれないし、夜の渋滞なのかもしれないし、食卓の一コマかもしれないし、美術館や博物館で目にした展示物かもしれない。
わたしがこの地で子育てをするに、習い事でなにかの技術を早くから磨いてあげやすい環境ではないかもしれない。
都会の景色や多くの人が行き交う様子は日常のなかにはない。
冒頭に書いたように、 「この環境のいいところはセンス オブ ワンダー」 だと思うと、娘とそれに触れる時間を、もう少しでも多く取っていきたいなという気持ちが強まった。
3月の終わりから、朝、少しだけ早く身支度を頑張って整えて、娘と山あいの畑へと散歩をするように^^
いつも「ほーほーほっほー」という山鳩の鳴き声に耳を澄ませたり、鳴き真似をしながら歩いて。
道に落ちている栗のイガイガが全部空っぽで、それは鹿さんが食べたということを話したり。
(わたしが肌寒くてポケットに手を入れていたので真似してしまっています…!笑)
そして最後は坂道を「よーいどん!」して下り、車にタッチしてゴール!
こども園へと向かいます。
道中、小高い山あいからこども園へと向かうため町並みが見下ろせて「お友達たちはもう園に到着しているかな、まだお家でおちゃちゃ(お茶)飲んでるかな」と
きっと娘にとっても、少し鳥さんのような目で俯瞰した時間を過ごせるのも好きなところ。
朝は、カーブの下り坂なこともありヒューと走ってしまい写真がないのですが、こちら1月の夕暮れ、 同じ場所をこども園からの帰り道に娘とドライブしたときの景色。夕暮れのこの一軒一軒の光を娘は「はなびみたい」と呼んでいます。
日によってほんの数分の散歩だとしても、まっすぐこども園へ向かわずこの寄り道をすることはわたしにとっても良い時間で。
可能な限り、そう、雨のなかでも行きたいな。
続けたいと思うことを見つけた春の始まりです。
最後に、生物学者レイチェル・カーソン著
「センス オブ ワンダー」(上遠恵子・訳 新潮社) から引用を!
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、
わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、
美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、
あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に
話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、
生涯消えることのない
“センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目をみはる感性”を
授けてほしいとたのむでしょう。」
- RACHEL CARSON (1907-1964)
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