PARENTS JOURNAL

子どもと向き合う、その向こうに私が見える。

大変久しぶりのジャーナルになってしまいました。

実は年明けよりここ数年で一番の仕事の繁忙期があり、更に4月から個人的に働く環境が大きく変わったことも重なって、てんやわんやの数ヶ月でした。

今日はそんな数ヶ月の中で印象的だった出来事をひとつ書きたいと思います。

柿沼 絢乃

2月、東京で雪が降った時の写真。3月いっぱいでこの黄色い一年生帽子ともお別れです。

その日の朝、この春2年生になる長男が(もはや思い出せないような)些細なことで起きてからずっとグズグズしていました。

声を掛けてもなかなか泣き止まず、少し様子を見て一人にさせても泣き止まず、いつもより大分長々グズついています。

いよいよ泣き止まないので

「いつまでも泣いていても良いことないよ?」

「泣いて状況が変わるなら泣いても良いけど、泣いても変わらないなら、切り替えて笑った方が幸せじゃない?」

と話しました。

息子に伝えながら、段々これ誰に向けて話してるんだっけ。

紛れもなく目の前にいる息子に向けて話しているんだけれど、なんかまるで最後の方は自分に向けて言い聞かせてるみたい。

と思いました。

柿沼 絢乃

少し話が変わりますが、先日お久しぶりにお会いする方とお話しする機会がありました。

そこで私のジャーナルを読んでくれていると嬉しいお言葉を頂きました。

「かきぬまさんのジャーナル、読んでるよ!

かきぬまさんは子どものエピソードを書いているけれど、自分のことを書いてるよね?それが好きだよ」

と話してくれました。

とても嬉しい感想だったのですが「自分のことを書いている」という部分は正直無意識でした。

でも、先程の話にも繋がるのですが、子どもを育てるということは、時にまるで自分そのものと向き合っている感覚になることがあります。

私が一人の人間として何を大切にして、どんなことを伝えたいのか。

それを考える機会を与えてくれるのが子どもの存在なのかもしれません。

そしてそんな機会をくれる有難い存在っていうのは他にはなかなかいないよな、とも。

改めて世界を捉え直すチャンスを与えてくれる息子たちに感謝の気持ちです。

柿沼 絢乃

更に日付が進んで、ここからは今朝の話なのですが、息子たちとそのとき流していた音楽の歌詞の話になりました。

「豊かになる庭」という表現が出てきて

それを聴いた次男が「『豊か』ってなに?」と尋ねてきました。

流れで長男に「『豊か』ってどういうことか知ってる?」と聞いたところ
「しってるよ、平和ってことだよ」と答えています。

そして私にも「ねえママ『豊か』って何?」と聞いてきます。

「豊か」とは。

私は彼らに何を「豊か」と伝えよう。

自分の中でそれを何と捉えるか、改めて考える朝でした。

子どもと向き合うとこういうことが沢山ありますね。

これからも息子たちの成長と共に、私はきっとたくさん自分と向き合うのでしょう。

迷ったり、悩んだり、向き合うのが嫌になりそうな時もあると思います。

でもそんな自分とも真摯に向き合う姿は、きっと子どもたちに伝わるのではないかと感じるのです。

自分と向き合うことを恐れない母でいたいなと感じた新生活の朝でした。

柿沼 絢乃

最後に。

最初に書いた「朝からグズグズ長男」

最終的に何で笑顔が戻ったかというと・・・

弟が横からシリアスな空気を全く無視して「おしりー!」とか言いながら突進し、結局兄弟二人でケラケラ笑ってました。

なんだよー!ママの熱い想いより弟のおしりなの!?

とは思いつつ。苦笑

兄弟がふたり並んで笑っている朝、きっとこういう瞬間が振り返れば「豊か」な時間なのかもしれませんね。

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